洗脳と教育
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新年あけましておめでとうございます。 新年早々取り上げる内容ではありませんが、先脳により日本や世界がおかしな方向へ進むスピードが加速しているので新年早々綴ります。 洗脳と教育の違い 洗脳と教育はほぼ同じプロセスで行われる […]
新年あけましておめでとうございます。
新年早々取り上げる内容ではありませんが、先脳により日本や世界がおかしな方向へ進むスピードが加速しているので新年早々綴ります。
洗脳と教育の違い
洗脳と教育はほぼ同じプロセスで行われるので、区別することはとても難しいです。
子供は親の教育を受けて育ちますが、まず最初の教育・洗脳が行われます。
その国、その地域独自の宗教や文化の教育が行われます。
独裁国家では「将軍様」が絶対だと教育され、反日国家では日本は敵だと教育され、反米国家では米国が敵だと教育されます。
ある国では、協調性が大切だと教育され、ある国では自分の頭で考えることを教育されます。
これのどれが教育で、どれが洗脳かはそれを判断する人によるので、答えはあってないようなものです。
教育と洗脳の定義(大辞泉より)
教育とは
1 ある人間を望ましい姿に変化させるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養(かんよう)などを図り、その人のもつ能力を伸ばそうと試みること。
洗脳とは
1 共産主義社会における思想改造。中華人民共和国成立後の、旧体制の知識人などに対する強制的な思想改造を非難したbrainwashingに由来。
2 その人の主義や思想を根本的に改めさせること。
ちょっと複雑なので、簡単にすると
本人の為になる事インプットすることを教育
本人以外のだれかの利益に誘導する情報をインプットすることを洗脳
と説明できますが、洗脳している人は、それは教育だと主張するでしょう。
ほとんどの大人がメディアの情報に依存している。
学生生活を終えたほとんどの大人は、その後の学習はテレビや新聞に依存します。新聞の時事ニュースを読むことやニュース番組を観ることが勉強になって行きます。
しかしそのメディアはスポンサーなくしては存在できない存在であり、メディアの本質は、スポンサーの利益を追求をする組織であり、真実を伝えるためには存在している訳ではありません。
メディアが使う簡単な洗脳方法 恐怖
メディアは心理学や行動心理学に精通しています。どのように簡単に効率よくスポンサーの利益に誘導できるかを知っています。
我々人間は恐怖から逃れる為には行動を起こしやすいことを知っています。
なので、様々な恐怖を煽ります。
貧乏になる恐怖・病気になる恐怖・他の人にダサいと思われる恐怖など、大きな恐怖から小さな恐怖まで巧みに利用して我々視聴者を行動に駆り立てます。
リスクの誤認
メディアに大きく取り上げられた「レアケース」に対して、正当なリスクを感じてはいないでしょうか?
がんになった芸能人、交通事故にあった有名人、大変な不遇な状況にある人。
確率論で言えば1億2000万分の1かもしれない確率であることもあります。
宝くじの1等が当たる確率以下の心配事に過剰に反応してはいないでしょうか?
あなたが怖がる事象はどこの情報を基に怖がっているのでしょうか?
テレビは恐怖情報を増幅させて拡散させる装置だという事を忘れてはいないでしょうか?
真実とは何か
多くの人が真実だと思って覚えた歴史は勝者が作った歴史です。
多くの人が真実だと思っている科学は現在分かっている事だけです。
死後の世界を知っている人もいなければ、ビッグバンを見た人もいないのです。
つまり、現在理解できる情報の中で何が一番真実に誠実かを一人一人が自分で考えて判断することが大切です。
メディアが作り上げるものではありません。
真実を隠蔽するメディア
真実は往々として「過剰に利益を追求する組織」にとって不都合であることがほとんどです。
メディアはその「過剰に利益を追求するスポンサー」の利益に相反する報道はできません。
よって、資本主義至上世界においてメディアが報じる情報全ては、誰かの利益の為の情報であると言えます。
その事を分かって観るニュースと分からずに観るニュースは全く違うものになります。
まとめ
洗脳と教育は紙一重です。それを身抜く事などほぼ不可能です。
しかし、情報を精査するか鵜呑みにするかはコントロールできます。
メディアにとって「鴨」は我々視聴者です。
現在、メディアさえも自滅の一途を辿っています。
国民を不幸にし過ぎているのです。
自分が洗脳下にあるのかどうか、見極めるには多くの意見を素直に聞いて判断するしかありません。
2021年は多くの人が、多様な意見に耳を傾け、素晴らしい未来を切り開く事を祈念して、新年初ブログを締め括らせていただきます。
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