日本の修身教育

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修身 今回は世界に尊敬され、最強の大日本帝国の精神を築いた「修身」についてご紹介します。 修身(しゅうしん)は、「身を修めること」を意味し、1869年(明治2年)の小学校設置から、1890年(明治23年)の教育勅語発布を […]

修身

今回は世界に尊敬され、最強の大日本帝国の精神を築いた「修身」についてご紹介します。

修身(しゅうしん)は、「身を修めること」を意味し、1869年(明治2年)の小学校設置から、1890年(明治23年)の教育勅語発布を経て、1945年(昭和20年)の敗戦まで存在していました。

江戸末期から明治維新を経て欧米文化を導入する上で、個人主義自由主義物質主義の考えが増える中で、いかに利己的な国民を減らすかが課題です。

内部から売国が起きれば日本は欧米の植民地になりえた時代です。

廃止された修身

敗戦と同時に修身は廃止されます。天皇からの直接的な教えである、滅私奉公・無私・利他の精神など、日本の美徳を育む「修身」は戦勝国からすると脅威でした

敗戦後のGHQとソ連コミンテルンの工作で、日本人は完全に骨抜きにされてしまいましたが、良くも悪くも日本人は勤勉で短い期間でも文化を作り上げる能力があると言えるでしょう。

修身こそが、外国人が感じる日本の素晴らしい文化なのではないかと、ワタシは感じています。

修身の始まり

修身は明治維新直後の学制の開始とともに始まりました。近代の学校教育は西洋の科学・教育を受容することでしたが、新しい学制の中心に「修身」が置かれ、儒学的伝統を継承する内容が盛り込まれました。日本の近代教育は始めから「和魂洋才」を目指していました。

1869 年(明治2年)に小学校が設置されました。小学校は「国体時勢ヲ辨エ忠孝ノ道知ルヘキ様教諭シ風俗ヲ敦クスルヲ要ス」(国体と時勢をわきまえて、忠孝の道を知るべき様、教え諭し風俗をより良くすることが必要だ)、にという維新政府の指示のもとで設置されましたので、修身はとても重視されました。


1872 年(明治5年)に学制、およびそれに伴う太政官布告が発布された。欧化政策に舵が切られ、儒学ではなく、実学を修めることが求められた。「修身」が科目として置かれ、小学1年から「修身口授」の形でスタートしました。

この頃の日本の指導者の精神

「一定の学制を布て国民を一様に教育せんとするは…国家開明の最も害とする所
なり。」

画一教育によって人民を「操人形」のようにしてはいけないと考えていて、現代の指導者より、よっぽど日本の将来のことを考えておられたのではないかと思います。

そして大日本帝国憲法の59条にも「日本人民は何らの教授をなし何らの学をなすも自由」と定められています。

福澤 諭吉

そもそも日本の文化とは、日本人が他国に向けて「我々は日本人だ」という主張をするために生まれたと考えられおり、主に日本の江戸時代の終わりから明治時代に浸透しました。

日本文化とは何か?というのを明確にしたのは、福澤諭吉です。

日本の最高額紙幣の顔になる程の功績は以下にあると思います。

福澤諭吉は日本の鎖国が終わった江戸時代に、学問の研究のためアメリカやオランダの博覧会に参加するために渡欧しました。

道中、香港の植民地の実態を目の当たりにし、イギリス人が中国人を犬猫同然に扱うことに強い衝撃を受けた福澤諭吉は、欧州の文化や先進的な技術に触れ、日本固有の文化を守って継承していくためには、欧米諸国に認められるものを発信しなくてはいけないと考えました。

その後、福澤諭吉は日本に帰国してすぐに慶應義塾大学を創設し、多くの著書を出版して明治時代の政治や海外で実際に体感した知識を広めます。

茶道、日本舞踊、華道、能楽、陶芸などが現代社会にも残ってるのも、日本の伝統芸術を残さなければと考えた福澤諭吉の影響があるのではないでしょうか?

福澤諭吉といえば、学問のすすめですが、いい機会なので復習してみてはいかがでしょうか。面倒な方は読み飛ばしてください。

学問のすすめ

学問とは、ただむつかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。

これらの文学も自ずから人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来漢学者に世帯持の上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人も稀なり。

これがため心ある町人百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。

されば今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。

譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条は甚だ多し。

地理学とは日本国中は勿論世界万国の風土道案内なり。

究理学とは天地万物の性質を見てその働きを知る学問なり。

歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。

修身学とは身の行いを修め人に交わりこの世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。

福沢諭吉『学問のすすめ』

日本の伝統・文化とは

伝統や文化は目に見えるものだけではありません。

日本国民の精神に刻まれている思想や習慣も伝統であり文化です。

福澤諭吉の言う通り、日本固有の文化を守って継承していくためには、欧米諸国に認められるものを発信しなくてはいけないと思います。

温故知新

「故ふるきを温あたためて新あたらしきを知る」が大切です。

戦後は、「過去を恥じて戦勝国に隷属する」教育が行われ、日本は経済成長さえしましたが、いまだに戦勝国(国連)の言いなりになっているばかりか、国連が言うことは正しいと、ほとんどの国民が信じています。

日本人は良くも悪くも日本人は勤勉で短い期間でも文化を作り上げる能力があるのですから、日本ファーストに国益を考えることができるリーダーが出てくることに期待します。

しかしその為には、スパイ防止法を制定し、国防力を強化しなければ、リーダーの芽は暗殺されて元の木阿弥になってしまいます。

今の日本に必要なのは、中国や韓国に何を言われようが、「修身」ではないでしょうか?

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