ドルと円の為替の歴史を振り返ってみよう

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通貨の高い国 : 生産力があって株価も高い先進国というのが本来の姿です。 通貨の安い国 : 生産力の未熟で株価も安い途上国というのが本来の姿です。 この当たり前の仕組みが、昨今ぐちゃぐちゃになっています。円安が進むと株価が上がって、円高の進むと株価が下がる・・・なんだこりゃ???

通貨の高い国 : 生産力があって株価も高い先進国というのが本来の姿です。

通貨の安い国 : 生産力の未熟で株価も安い途上国というのが本来の姿です。

この当たり前の仕組みが、昨今ぐちゃぐちゃになっています。円安が進むと株価が上がって、円高の進むと株価が下がる・・・なんだこりゃ???

歴史を振り返ってみると、1871年に日本で初めて統一通貨である円が誕生した時、1$=1円でした。

大東亜戦争終戦直後の1945年9月、軍用交換相場は1ドル=15円。復興する日本は1947年3月に1ドル=50円、1948年7月に1ドル=270円、1949年には1ドル = 360円に、1949年GHQは1ドル=360円の固定相場にします。(固定相場は22年間続く)(大規模な復興によるインフレーション)

1960年代アメリカはベトナム戦争の戦費が拡大しすぎて、インフレが進み、ドル不安が起き、金本位制を維持できなくなり(ニクソンショック)1973年、スミソニアン協定でドルの切り下げが決められ、1ドル=308円となりました。同年、変動相場制の導入直後は1ドル=260円台まで円高が進みましたが、11973年秋オイルショック発生時1ドル=300円に(有事のドル)、その後、11976年末頃までしばらく安定する 1977年〜1978年、円高が進み、はじめて1ドル=200円を突破し、1978年末頃には一時1ドル=180円を突破した

アメリカはカーター政権下で、ドル防衛政策やイラン革命進行による再度のオイルショック懸念、ソ連のアフガニスタン侵攻で再びドル高となり、1980年には1ドル=250円付近まで円安が進み、1985年のプラザ合意まで200〜250円で推移した。1985年秋のプラザ合意(ドル安誘導政策)で急激に円高が進行。プラザ合意発表直後に円ドル相場は20円ほど急騰し、1985年初には250円台だった円相場が1986年末には一時160円を突破した。その後も円ドル相場は史上最高値を更新し続け、1987年2月のルーブル合意でドル安に歯止めかける方向で合意したもののしばらくドル安が進み、1ドル=120円台にまで上昇しました。

日本は激しい円高の影響で、輸出産業が打撃を受けた一方、円高不況回避のために異例の超低金利政策を行ったため金余り現象が発生。それら資金が土地や株式への投資に繋がりバブル景気へと向かいました。1989年円ドル相場は円安傾向となり、120円台から160円付近まで下落。(バブル最盛期へ)

湾岸戦争の影響で短期の上下はあるものの、長期的には円高で推移。1989年末にピークを付けた東京市場の株価は、1990年に入ってから暴落に転じ、バブル景気に陰りが見え始めましたが、海外投資や輸入が収縮する一方で輸出は依然強く、円高が進行した。1994年にはじめて1ドル=100円の大台を突破し、1995年4月19日には79円75銭と瞬間1ドル=80円割れを記録しました。

1995年阪神大震災をきっかけに、いったん超円高となりましたが、また円安へと向かいました。日米が合意して調整した結果、一時は1ドル=100円まで是正しましたが、急に20円安もの変動となりました。さらに、1998年秋には一時1ドル=140円台まで下落した。日本国内では、バブル経済崩壊後、不良債権や金融機関の破綻などさまざまな問題が表面化し、1997年秋には大手証券や銀行の破綻など危機的な状況となった。また、日本国外では1997年のアジア通貨危機や1998年のロシア財政危機などの事件が起こり、円安が底打ちすると急激に巻き返し、1998年の日本長期信用銀行の破たんまでに1ドル=120円台を突破した。1999年にゼロ金利を導入するとしばらくは円は下がり続けたが、同年後半からは再び急激に円高に動き、2000年初頭までに103円台まで値を上げた。

2001年、アメリカ同時多発テロでのドルと米株の暴落に連動して円相場も急落、2002年初頭までには1ドル = 130円台まで値を下げた。その後、国内ではいざなぎ越えの景気が始まるとともに円相場も持ち直し、2002年下半期までには120円前後まで上昇・推移した。2003年にりそなグループが公的支援を決定すると一気に円は買われ急上昇、2004年初夏には100円近くまで値を上げた。

2004年以降は円安傾向に移行した、2007年には数年ぶりに1ドル = 124円台を記録。円が実体経済以上に安くなったことから国内では外需依存型の円安バブルが中規模ながら発生し景気回復の一助となった。そしてサブプライムローン問題が明るみになり、円安から円高に移行した。ドルに連動しながら時に乱高下を繰り返しながらも上昇は止まらず、2008年には1ドル=2ケタ台を記録。

2009年に入って円相場は主に90円台で推移していたが、リーマンショックを受け円は急上昇し、再び80円台に突入。

アメリカFRBの超低金利政策の長期化とドル安容認で87円台まで来ていた円相場は、2010年には、82円台まで上昇した円高の是正を目的として政府・日銀による為替介入が行われた。2011年 戦後最高値更新東日本大震災を受け保険会社が支払準備として海外資産を円転させるとの観測や、決済のための円資金需要が強まったことなどから円高が急激に進み瞬間76円25銭をつけて最高値を更新した。

2009年リーマンショック後、麻生おろしが発生し政権交代、民主党政権は、事業仕分けに奮闘していた。これが世界で一番リーマンショックの被害を受ける原因になっている。世界恐慌が訪れているのに、民主党政権は緊縮財政を行なったので、インフレしない資産として、円買いが発生し円高に。事業仕分けで、公共事業も仕分けしてしまったので、2011年の震災の被害も甚大になってしまった。

2012年 超円高 欧州債務問題などで歴史的なユーロ安

2013年安部政権によるアベノミクスが始まる。デフレ脱却に向け、金融政策を行い、大規模な財政出動で円安に向かう。3本の矢(大胆な金融政策・機動的な財政政策・民間投資を喚起する成長戦略)政府が沢山国債を発行して財政出動することによって、円のインフレリスクを発生させ、円安へ誘導し、輸出が有利になったり、日本へ観光客が来やすくなりました。

2016年トランプ次期大統領への期待感から米ドルが暴騰101円台から118円台まで17円がわずか1月ほどで上昇する。

後半の近年は、情報が溢れすぎていて書き出すと膨大な文字数になりそうなので、かなり割愛しましたが、歴史から経済と為替の関係性を正しく学べます。

為替は世界のバランスで動きます。

1990年から物価上昇がほとんどない時代が続き、日本円は超低金利になってしまいましたので、金利を活かした資産運用の為に、米ドル建の保険等を使って資産運用を考えている方も多くなりました。

このような時、どうなるというのは、歴史から読み解けることも多いので、少し長くなりましたが解説してみました。

ドル建ての保険を考えているのだが、何を選んで良いかわからない方には、

理論的に丁寧に理解できるまでご説明しております。

お問い合わせは、弊社お問い合わせフォームより受け付けております。https://clear-advance.jp/contact



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