スペイン風邪の真相
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スペイン風邪はそのそもスペインから流行した病気ではありません。ちょうど100年前、現在と同じ様に、人々は目に見えない何かに怯え、マスクをしソーシャルディスタンスを取っていました。そして、有効でない対策や、誰かが儲ける為の治療で多くの人命が失われました。
現代、ウイルスは未知なるものではないと言うことと、対策を間違えたのではなく、ウイルスを利用したことにより、多くの被害が出た歴史をお伝えします。
人工インフルエンザウイルス
1999年、米国ウイスコンシン大学獣医学部の河岡義裕教授のラボで「インフルエンザウイルスを人工的に作出する」というプロジェクトありました。このプロジェクトは成功し、人工的にウイルスが作り出されます。
このことは、インフルエンザ研究の世界に改革を起こしました。
ウイルスにとって致死的でない限り、研究者の描く設計図通りのインフルエンザウイルスを合成することができ、それまでは実現不可能だったことを可能となり、現存しないインフルエンザウイルスを合成することをもできるようになりました。
スペイン風邪
「第一次世界大戦下」1918-1919、原因不明の病原体が人類を襲い、世界中を混乱に陥れました。単なる風邪の症状から、症状が急激に悪化し重篤な肺炎を発症して、あっという間に死に至る恐ろしい感染症です。
感染者の肺の損傷は激しく、肺胞に液体が溜まり、そのため患者はチアノーゼ(血液中の酸素レベルが低下して皮膚や粘膜が青紫色に変化すること)を起こします。
1918年3月、第1次世界大戦の最中、米国の軍事キャンプ周辺で、スペイン風邪の最初の流行が発生します。その後、米軍の欧州進軍とともにヨーロッパへと飛び火し、1918年の秋には世界中に流行が広がりました。
屈強で丈夫なはずの兵士や若者が次々と病に倒れ、重症の肺炎のため呼吸困難を起こし、発症してから数日以内にもだえ苦しみながら死んでいきました。
当時、各国は自軍の士気が下がるのを防ぐため、インフルエンザ流行を公表するのを控えていました。
しかし、中立の立場を保っていたスペインは、何の報道規制も敷いていなかったため、スペインの新聞では大きくインフルエンザの流行を報じました。
そのため、この流行の発生源がスペインであると誤認され、「スペイン風邪」と呼ばれるようになりました。
スペイン風邪の流行は、5億人が感染し犠牲者数4〜5千万人という、疫学史上最悪の事態となりました。当時はウイルスを分離培養する技術がなかったため、スペイン風邪の原因病原体の実態は謎に包まれていました。
インフルエンザウイルスを特定
その後80年の時を経て米陸軍病理学研究所の病理学者Taubenberger博士の研究グループが、スペイン風邪の犠牲者の肺病理検体および永久凍土に埋葬された遺体から、スペイン風邪の病原体の遺伝子を分離し、「H1N1亜型のA型インフルエンザウイルス」を特定しました。
そして、ゲノム情報が明らかになったことにより、米疾病管理予防センターで、人工的にスペイン風邪ウイルスを合成することにも成功しています。
1918年スペインかぜ重症化の原因は【医原性】(医療行為が原因となり問題が起きていた)
スペインかぜは1918年5月の流行当初,他の新型インフルエンザと同じく死亡率は無視できる程度で、同年1月から8月の死亡率は前年の季節性インフルエンザより低い水準でした。(新型コロナと同じ現象ですね)
問題は,その後の第二波流行時に25~29歳の米国内の屈強な若年兵に死亡が多発したことであり、それも1918年9月後半から致死率3%と重症化率が跳ね上がったことが目立ちました。
この現象が弱毒性ウイルスから強毒性ウイルスに変異した結果であるとされ,今日の新型インフルエンザの恐怖につながっています。第二波時の死亡率上昇は,1918年スペインかぜの最大の謎でした。
同時期の感染にもかかわらず、米軍兵の致死率は2.1%から10%と駐屯地によって大きな差違があり、全米でも地域により死亡率に大きな差違が表れていました。
この現象は同一期間なのでウイルス変異では説明できません。
生活や周囲環境、天候、人口密度、予防法に大きな違いはありません。
アスピリンに群がる亡者
1918年9月という時期と,サリチル酸(アスピリン)をウイルス疾患に使用したときの害反応を合わせると謎が解けます。
1917年にアスピリンの製造特許が切れ,多くの製薬会社が利益を求めてアスピリン製造に群がり、巷にアスピリンがあふれていました。スペインかぜで激増する高熱患者は,アスピリンに格好の提供先を与え,アスピリン販売量は前年の2倍に跳ね上がりました。
当時は副作用が出るまでアスピリンを増量して、それから少し減量して継続するのが通常の服用法でした。1918年9月13日には公衆衛生局長官が,同26日には海軍が,10月5日にはアメリカ医師会雑誌(JAMA)が,「外国ではアスピリンで症状改善に成功している」とアスピリンをスペインかぜに推奨します。
医師はインフルエンザ患者に大量のアスピリンを用いるようになりました。
アスピリンが推奨されだした秋口,スペインかぜによる死亡が急増し始めました。そしてこの死亡者数の急増を第二波の流行とされました。
それは海軍で9月後半,陸軍で9月末,そして一般人では10月後半のことで,アスピリンが広く推奨され始めた時期に一致しています。
ポイント
医師は薬効や副作用を正しく理解せず処方することがあります。
日本では、当時スペイン風邪のワクチンを行なっていましたが、当時ウイルスの存在すら分かっていない時代です。したがって、当時ワクチンと称していたものはワクチンではないのです。
医師は効くか良くわからない状態、注射しているものが一体何かわからない状態で注射することもあります。
製薬会社は利益を上げる為にルールや常識を作ることがあります。
薬を大量に作ってしまったから、処分する為に工作することもあります。
最後に、100年前のスペイン風邪を現在の新型コロナウイルスに対する感染予防対策は全く同じと言っても過言ではありません。100年前より少しお洒落になったかな?位のものです。
ヌーの大群の暴走の様に、同調圧力に屈し、周りが見えなくなっていませんか?
大切なものを踏みにじってしまうかもしれません
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