タブロイド思考で決まる世論
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ステレオタイプとタブロイド思考 ステレオタイプとは多くの人に浸透してしまっている「先入観」や「思い込み」、「固定観念」や「レッテル」、「偏見」のことです。 そのステレオタイプ的なモノの見方で物事の原因やその有様さえも理解 […]
ステレオタイプとタブロイド思考
ステレオタイプとは多くの人に浸透してしまっている「先入観」や「思い込み」、「固定観念」や「レッテル」、「偏見」のことです。
そのステレオタイプ的なモノの見方で物事の原因やその有様さえも理解したような気分になってしまう思考方法のことを「タブロイド思考」といいます。
世の中の多くの自分の頭で考えられない人や、簡単で単純明快な答えを求める人が自分の結論(考え)を作る方法は3通りあります。
世論が決まる「3つの方法」
1、良く調べもせずレッテルを貼り、「〜はこうでなくてはいけない!」とか、「だからあいつはだめだ」と、自分の思い込みや偏見を基に結論を決めつける。
2、自分が否定されること避け、安心感を得る為「みんながそう言っているから」といいながら、敵の少ない多数派意見に同調する。
3、肩書きや権威に流されて姉妹、「あの人は有名だから」「テレビや新聞で言っているから」と、いかにも尤もらしい意見を鵜呑みにしてしまう。
専門家でないコメンテーター
ニュースの初動で、まだ詳細が不明で因果関係すらわからない時点であっても、ちょっと聞き齧った話や、自分たちの数少ない人生経験に事件や事象を当てはめ、一個人の感想をいかにも真実であるかのように話します。
良く考えれば辻褄があっていないのにも関わらず、コメンテーターはいかにも全てを知っているかのような口ぶりで話をするので、すっかりと真に受けてしまう人は大勢います。
深く考えることも、自分の頭で因果関係や相関関係を整理することもなく「理屈」や「理論」よりも好き嫌いといった「感情論」で物事を決めてしまいがちです。
そのほうが、考えなくて済みますし、楽です。そしてこのような「感覚型」の人達は「事実はそうかもしれないが」と言いながら、感情的に受け入れることができなければ答えは「NO」となり「安全より安心を」みたいな発言にも疑問をもったりしません。
安全とは物理的に危なくないこと、安心とは心が安らかなこと。
緑のたぬきは寝言か戯言かわからないキーワードを連発しています。
しかし、そのキーワードはテレビに取り上げられ、アホなコメンテーターがあたかも大事なことかのような印象付けをしますので、感覚型の人の常識になってしまい、自分の頭で考え、疑問を呈す人を捻くれ者と馬鹿にします。
実に滑稽ですが、私のように自分の頭で考え、徹底的に裏をとる理論型タイプの少数派は、多数派の感覚型の人に考えを改めろと注意されます。
そしてタチが悪いのが、情報の入手や思考の過程でさえも他人任せにしておきながら、この感覚型タイプの人は、あたかも自分でその結論を導き出したと勘違いしています。
そして、感覚型(受動型)は受け身であるがゆえに、一度得た結論には疑いを持たず、以後は自分に都合のいい情報だけを受け入れるようになっていきます。
お気に入りの評論家が言っていることは全て盲信して、その評論家が言っていることが結論ありきのエビデンスとなります。
操作しやすいタブロイド思考型人間
民衆を扇動しようとする勢力は、自分たちにとって都合のいい人間を「美化し持ち上げ」、都合の悪い人間に対しては「徹底的なネガティブキャンペーン」を打ちまくります。
そして、人々はいとも簡単に彼らの工作活動を真に受けてしまいます。
「素直な群衆」=「都合のいい人間」
すぐ感情的になってくれる「都合がいい人間」は自分の思考が手引きされていることにまったく気がついていません。
大衆の意思や思想を操れる=民主主義を操れる=国さえ操れる
自分自身の「感情」や「信念」さえも誰かに仕向けられたものになってしまっている可能性は大いにあります。
お金の流れを追うと見える真実
焚きつけられた「民衆扇動」の結果によって誰が利益を得るのか?を注視することがとても大切です。感情は隠せても、お金の流れは隠せません。
正義と利害関係
世の中そんなに単純ではありません。
皆それぞれに正義があり、各々に利害もあります。
善悪の判断すら、人間の数だけ存在します。
コメンテーター増殖中
判断の後で文句を言われるのは嫌、責任も取りたくない。
そうすると、当たり障りのない正論をとりあえず口にしていて、世の中が上手くいかないのは誰かのせいにしてしまいます。
皆自分が悪いなんて思いたくありません。
そしてさも善人ぶって上から目線で無責任に評論します。
自分の頭で考えない人は問題の分析や解決よりも感情の捌け口を求めます。
まとめ
面倒くさがって現実から逃げないこと、自分で調べ、自分の頭で考える。
そうやって出した答えを議論の場で話し合いさまざまな意見のぶつかり合い、紆余曲折を経ながら妥協点や落とし所を探る事くらいしか我々にはできません。
しかし、その行為こそが「民主主義」と言うものです。
全員が納得できる答えなどそうそう導き出せません。
リスクをゼロにすることもそうそうできません。
思考から逃げて、感情論で議論全体をぶち壊してはいけません。
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